この度、やまうちマッサージ鍼灸院のホームページにご訪問いただき、ありがとうございます。
私が院長の 山内 秀介(やまうち しゅうすけ)です。
当院は施術も受付もすべて、私ひとりで行なっております。
ですが、
「どんな人が施術するの?」
「私に合う人だといいなぁ・・・」
と、私が一体どんな人となりなのか、気になる方もいらっしゃると思います。
そういったお悩みを持つ方のために、このページでは私のプロフィールを紹介していきます。
ゆっくりとご覧ください。
内気ないじめられっ子がファミコン狂いに
大阪府茨木市で生まれ、物心つく前に堺市北区金岡町へ引っ越しをして、そこで少年時代を過ごしました。
内気で運動オンチないじめられっ子だった私は、友だちの家で見せてもらったファミリーコンピュータ(=ファミコン)に心奪われ、両親に土下座してまで買ってもらいました。そして、あっという間にファミコン大好き・・・というよりも「ファミコン狂い」になります。学校から帰ったらすぐにファミコン。勉強そっちのけだったので、両親からはファミコン禁止令が出るほどでした。
今にして思えば、これが集中力を育てることになったのかもしれません。
高校・大学はゲームセンター通い
高校に進級し、和歌山県に引っ越すことになっても、私のゲーム熱は変わりませんでした。
当時はゲームセンターがまだまだ盛況で、近所の玩具店に置いてあったアーケードゲーム機にかぶりつきます。ファミコンと比較できないほどのダイナミックな動き。どんどん腕前が上がる実感。学校の授業では得られない快感です。大学に上がると、大阪市内のゲームセンターに通いだし、ゲームつながりの仲間ができて更に充実していきます。この頃は、本当に楽しかったですね。
ちなみに成績の方は、ずっと進級ギリギリでした。よく大学まで卒業できたなぁ、と今でも思います。
「なんとなく」でシステムエンジニアに
そんなとんでもない学生生活でしたが、どうにか就職を決めます。システムエンジニア(以下SE)会社です。その理由は「なんとなく」でした。
「なんとなく」で入った会社ですので、仕事への誇りとかプライドとか、意欲的な物はありません。その結果、宙ぶらりんな気持ちで仕事を続けることになります。別の会社に再就職といったことすら考えず、最初に入った会社で働き続けます。
SE業界の例にもれず、深夜まで勤務・休日返上など当たり前の職場でした。そこへ重なる不摂生。ずっと猫背、座りっぱなし、夜だけドカ食い・・・。「なんとなく」で過ごしてきたのも手伝って、徐々に体調を悪くしていきます。
かくして、その日がやってきます。
「帯状疱疹」の発症です。
はじめての「帯状疱疹」と・・・
ある夜、ベッドに入ると、なぜか背中がチクチクしたのです。よく見ると、右半身に無数の赤いブツブツが・・・。その夜は一睡もできませんでした。
翌日、内科をたずねると、
「帯状疱疹です。免疫能力が落ちてるから、体に休みと栄養を与えて下さいね」
衝撃でした。なんで、こんな病気なんかに・・・?
飲み薬を処方してもらい、帯状疱疹そのものは数週間で収まりました。しかし、充分に眠れない生活が続いたため、私は不意に体調を崩すことが増えました。
今度は、総合病院で診てもらいました。すると、
「多分・・・自律神経失調症です。お薬を出しますので飲み続けて下さい」
追い打ちが来ました。
投薬で治らない日々、そして・・・
医者の言いつけ通り、薬を飲む生活を続けてきましたが、自律神経失調症は治る気配がありません。当然、眠れません。そんな状況でも、仕事は続けなければならない。板挟みに苦しむ日が続きます。
薬以外の治療法はないのか・・・と考えつつ、職場周辺を歩く私。
初めて歩く道に入り、ふと。
本当にふと、とある看板が目に入ります。
「マッサージ施術院」
マッサージ? 気持ち良くなるだけの奴とちゃうのん?
初めて抱いた感想はそれでした。
しかし、私は本当に参っていたのでしょう、ふらふらとその院の中へと入っていきました。そして、戸惑いながらも、がっしりした体の院長の施術を受けました。
その院で、私は裏切られました。良い意味で。
施術中、私はぐっすり眠れたのです。久々に。
本当に、久々です。
涙が出ました。
SE業界から退職、医療業界へ進む
その日から私は、職場近くのマッサージ施術院へ定期的に通いだしました。
薬を一切使わず、手だけで行なわれる、適度な力加減の施術。そして、院長からの運動アドバイス。このおかげで、私は普通どおりに眠れるようになり、自律神経失調症からも解放されました。
同時に私は、マッサージ・あんま・指圧という施術方法に魅力を見出していました。今の仕事より、この施術で体を良くする仕事の方が楽しい、と強く感じる様になっていきます。
そして私は会社を辞め、あん摩マッサージ指圧師の養成学校に入学しました。会社を辞めることに、全く迷いがありませんでした。
授業が終われば整骨院でアルバイト、という毎日を送ってきましたが、不思議と嫌気は指しませんでした。若い頃の学生時代より、何百倍も楽しく過ごせました。
養成学校を卒業後(取得した国家資格はこちら)、無事に免許を取得し、病院のリハビリ病棟で勤務を始めます。
リハビリ病棟では、今の仕事とは少し違う内容だったのですが、私の中で大きな経験になっているのは間違いありません。
そうして病棟での経験をある程度積んだ後、私はついに開業したのです。
しかし、当時の私の頭には、開業後のビジョンが全くない状態でした。
無計画な開業、もがき続けた日々
開業したはいいものの、ホームページは作ってない、チラシも一切なし。大きな看板ひとつだけが唯一の広告でした。当然、誰も当院に来てくれません。
危機感を抱いた私は、まずはチラシを作り、自分の手で巻きます。誰も来ません。
続いてバス広告も導入します。まだ来ません。
ご近所のお店にもチラシを置いてもらったりもしたのですが、なかなか反応はよろしくありませんでした。
そこで自分の前職の経験を活かし、ホームページの作成にかかります。
SE業界を離れて相当な時間が経っていたため、遅れを取り戻すのに大変でしたが、まともなホームページを作ることができた・・・と、自画自賛ですが思います。
ホームページ完成後からしばらくして、ご近所の方がポツポツとご来院して下さるようになりました。
それから7年が経ち、堺市北区以外の方々にもご来院いただけるようになったのです。
私が目指す「施術家」
自律神経失調症で地獄の苦しみを味わっていたころを振り返ると、気付いたことがあります。
それは「医療従事者のほとんどが、私の気持ちに寄り添ってくれなかった」ことです。
私たち施術家もそうですが、症状を少しでも和らげることは第一に目指すべきことです。しかし、今も苦しんでいる方たちの気持ち・事情などに寄り添い、それに応えるべく行動することもとても大切です。
そこで私は決めました。
「やさしく やさしく やすらぎを」を志として取り組むことを。
「やさしく」は「分かりやすく話す」。
「やさしく」は「優しさを持って、あなたに接する」。
「やすらぎを」は「あなたの本当の願い・目標を達成し、末永く安らいだ気持ちで過ごしていただく」。
という意味です。
当院に通われる方々は、心身ともにトラブルを持っていることが多いです。
イライラが止まらない、なぜか眠れない、腰が痛いといった具合に。
そして、それらのせいで仕事を満足にできない、眠れないから旅行に行けない、趣味を楽しめないといった我慢を強いられているのです。
私も、かつてはそんなトラブルを抱え続けた一人です。
だからこそ、その場限りの症状だけでなく、あなたが「良くなったらやりたい事」をできる様に全力でサポートします。
イライラから解放されて、仕事に専念したい。
旅行先のベッドでぐっすり寝たい。
腰を良くしてスポーツを楽しみたい。
・・・などなど、人によって色々な「やりたい事」があります。
そんな「あなたの本当の願い・目標」へ
「やさしく やさしく やすらぎを」の志で
あなたを導き、とことんサポートする
それが私の使命と考えております。
院長のプロフィール(要約)
名前 | 山内 秀介(やまうち しゅうすけ) |
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生年月日 | 1975年7月25日 |
出身・経緯 | 大阪府茨木市生まれ、堺市北区で少年時代を過ごし、和歌山県へ引っ越し。 7年前に堺市北区に戻り、やまうちマッサージ鍼灸院を開業。 |
取得国家資格 |
あん摩マッサージ指圧師(第 136470 号) |
はり師(第 160350 号) |
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きゅう師(第 159966 号) |
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趣味 | 動画鑑賞、ゲーム、料理、腹筋ローラー |
座右の銘 | ・「あきらめない」こと ・やさしく やさしく やすらぎを |