堺市北区なかもずで自律神経失調症はやまうちマッサージ鍼灸院

072-370-0059

定休:木曜日(不定休あり)

院長のプロフィール
私はこんな人間です

やまうちマッサージ鍼灸院院長_顔正面この度、やまうちマッサージ鍼灸院のホームページにご訪問いただき、ありがとうございます。
私が院長の 山内 秀介(やまうち しゅうすけ)です。
当院は施術も受付もすべて、私ひとりで行なっております。
ですが、

「どんな人が施術するの?」
「私に合う人だといいなぁ・・・」

と、私が一体どんな人となりなのか、気になる方もいらっしゃると思います。

そういったお悩みを持つ方のために、このページでは私のプロフィールを紹介していきます。
ゆっくりとご覧ください。

内気ないじめられっ子がファミコン狂いに

ファミコンで遊ぶ子供の手イメージ大阪府茨木市で生まれ、物心つく前に堺市北区金岡町へ引っ越しをして、そこで少年時代を過ごしました。

内気で運動オンチないじめられっ子だった私は、友だちの家で見せてもらったファミリーコンピュータ(=ファミコン)に心奪われ、両親に土下座してまで買ってもらいました。そして、あっという間にファミコン大好き・・・というよりも「ファミコン狂い」になります。学校から帰ったらすぐにファミコン。勉強そっちのけだったので、両親からはファミコン禁止令が出るほどでした。

今にして思えば、これが集中力を育てることになったのかもしれません。

高校・大学はゲームセンター通い

アーケードゲームを遊ぶ男の手イメージ高校に進級し、和歌山県に引っ越すことになっても、私のゲーム熱は変わりませんでした。

当時はゲームセンターがまだまだ盛況で、近所の玩具店に置いてあったアーケードゲーム機にかぶりつきます。ファミコンと比較できないほどのダイナミックな動き。どんどん腕前が上がる実感。学校の授業では得られない快感です。大学に上がると、大阪市内のゲームセンターに通いだし、ゲームつながりの仲間ができて更に充実していきます。この頃は、本当に楽しかったですね。

ちなみに成績の方は、ずっと進級ギリギリでした。よく大学まで卒業できたなぁ、と今でも思います。

「なんとなく」でシステムエンジニアに

システムエンジニア時代イメージそんなとんでもない学生生活でしたが、どうにか就職を決めます。システムエンジニア(以下SE)会社です。その理由は「なんとなく」でした。
「なんとなく」で入った会社ですので、仕事への誇りとかプライドとか、意欲的な物はありません。その結果、宙ぶらりんな気持ちで仕事を続けることになります。別の会社に再就職といったことすら考えず、最初に入った会社で働き続けます。

SE業界の例にもれず、深夜まで勤務・休日返上など当たり前の職場でした。そこへ重なる不摂生。ずっと猫背、座りっぱなし、夜だけドカ食い・・・。「なんとなく」で過ごしてきたのも手伝って、徐々に体調を悪くしていきます。

かくして、その日がやってきます。

「帯状疱疹」の発症です。

はじめての「帯状疱疹」と・・・

不眠症イメージある夜、ベッドに入ると、なぜか背中がチクチクしたのです。よく見ると、右半身に無数の赤いブツブツが・・・。その夜は一睡もできませんでした。
翌日、内科をたずねると、

「帯状疱疹です。免疫能力が落ちてるから、体に休みと栄養を与えて下さいね」

衝撃でした。なんで、こんな病気なんかに・・・?

飲み薬を処方してもらい、帯状疱疹そのものは数週間で収まりました。しかし、充分に眠れない生活が続いたため、私は不意に体調を崩すことが増えました。
今度は、総合病院で診てもらいました。すると、

「多分・・・自律神経失調症です。お薬を出しますので飲み続けて下さい」

追い打ちが来ました。

投薬で治らない日々、そして・・・

快眠できたイメージ医者の言いつけ通り、薬を飲む生活を続けてきましたが、自律神経失調症は治る気配がありません。当然、眠れません。そんな状況でも、仕事は続けなければならない。板挟みに苦しむ日が続きます。

薬以外の治療法はないのか・・・と考えつつ、職場周辺を歩く私。
初めて歩く道に入り、ふと。
本当にふと、とある看板が目に入ります。

「マッサージ施術院」

マッサージ? 気持ち良くなるだけの奴とちゃうのん?
初めて抱いた感想はそれでした。

しかし、私は本当に参っていたのでしょう、ふらふらとその院の中へと入っていきました。そして、戸惑いながらも、がっしりした体の院長の施術を受けました。

その院で、私は裏切られました。良い意味で。

施術中、私はぐっすり眠れたのです。久々に。
本当に、久々です。
涙が出ました

SE業界から退職、医療業界へ進む

病院リハビリ勤務イメージその日から私は、職場近くのマッサージ施術院へ定期的に通いだしました。
薬を一切使わず、手だけで行なわれる、適度な力加減の施術。そして、院長からの運動アドバイス。このおかげで、私は普通どおりに眠れるようになり、自律神経失調症からも解放されました

同時に私は、マッサージ・あんま・指圧という施術方法に魅力を見出していました。今の仕事より、この施術で体を良くする仕事の方が楽しい、と強く感じる様になっていきます。
そして私は会社を辞め、あん摩マッサージ指圧師の養成学校に入学しました。会社を辞めることに、全く迷いがありませんでした。

授業が終われば整骨院でアルバイト、という毎日を送ってきましたが、不思議と嫌気は指しませんでした。若い頃の学生時代より、何百倍も楽しく過ごせました。
養成学校を卒業後(取得した国家資格はこちら)、無事に免許を取得し、病院のリハビリ病棟で勤務を始めます。
リハビリ病棟では、今の仕事とは少し違う内容だったのですが、私の中で大きな経験になっているのは間違いありません。

そうして病棟での経験をある程度積んだ後、私はついに開業したのです。

しかし、当時の私の頭には、開業後のビジョンが全くない状態でした。

無計画な開業、もがき続けた日々

独学でホームページを作るイメージ開業したはいいものの、ホームページは作ってない、チラシも一切なし。大きな看板ひとつだけが唯一の広告でした。当然、誰も当院に来てくれません。

危機感を抱いた私は、まずはチラシを作り、自分の手で巻きます。誰も来ません。
続いてバス広告も導入します。まだ来ません。
ご近所のお店にもチラシを置いてもらったりもしたのですが、なかなか反応はよろしくありませんでした。

そこで自分の前職の経験を活かし、ホームページの作成にかかります。
SE業界を離れて相当な時間が経っていたため、遅れを取り戻すのに大変でしたが、まともなホームページを作ることができた・・・と、自画自賛ですが思います。
ホームページ完成後からしばらくして、ご近所の方がポツポツとご来院して下さるようになりました。

それから7年が経ち、堺市北区以外の方々にもご来院いただけるようになったのです。

私が目指す「施術家」

ポリシー_施術中イメージ自律神経失調症で地獄の苦しみを味わっていたころを振り返ると、気付いたことがあります。

それは「医療従事者のほとんどが、私の気持ちに寄り添ってくれなかった」ことです。

私たち施術家もそうですが、症状を少しでも和らげることは第一に目指すべきことです。しかし、今も苦しんでいる方たちの気持ち・事情などに寄り添い、それに応えるべく行動することもとても大切です。

そこで私は決めました。
やさしく やさしく やすらぎを」を志として取り組むことを。

「やさしく」は「分かりやすく話す」。
「やさしく」は「優しさを持って、あなたに接する」。
「やすらぎを」は「あなたの本当の願い・目標を達成し、末永く安らいだ気持ちで過ごしていただく」。

という意味です。

当院に通われる方々は、心身ともにトラブルを持っていることが多いです。
イライラが止まらない、なぜか眠れない、腰が痛いといった具合に。
そして、それらのせいで仕事を満足にできない、眠れないから旅行に行けない、趣味を楽しめないといった我慢を強いられているのです。

私も、かつてはそんなトラブルを抱え続けた一人です。
だからこそ、その場限りの症状だけでなく、あなたが「良くなったらやりたい事」をできる様に全力でサポートします。

イライラから解放されて、仕事に専念したい。
旅行先のベッドでぐっすり寝たい。
腰を良くしてスポーツを楽しみたい。

・・・などなど、人によって色々な「やりたい事」があります。

そんな「あなたの本当の願い・目標」へ
やさしく やさしく やすらぎを」の志で
あなたを導き、とことんサポートする

それが私の使命と考えております。


院長のプロフィール(要約)

名前 山内 秀介(やまうち しゅうすけ)
生年月日 1975年7月25日
出身・経緯 大阪府茨木市生まれ、堺市北区で少年時代を過ごし、和歌山県へ引っ越し。
7年前に堺市北区に戻り、やまうちマッサージ鍼灸院を開業。
取得国家資格

あん摩マッサージ指圧師(第 136470 号)

やまうちマッサージ鍼灸院_院長_免許証_あん摩マッサージ指圧師_第136470号

はり師(第 160350 号)

やまうちマッサージ鍼灸院_院長_免許証_はり師_第160350号

きゅう師(第 159966 号)

やまうちマッサージ鍼灸院_院長_免許証_きゅう師_第159966号

趣味 動画鑑賞、ゲーム、料理、腹筋ローラー
座右の銘 ・「あきらめない」こと
・やさしく やさしく やすらぎを